家族のあり方について【家族というコミュニティ機能とは?】

講座

家族という集団を考える際、「そもそも家族ってなにさ?」「どんな機能や役割を担っているのか?」なんて疑問が浮かびます。

会社っていう組織だったら単純に“利益を上げる”、“社会における経済活動の一役を担う”ってのがあげられるかもしれません。
でもそれが家族というどんな人でも必ずしも一度は所属する集団の機能や役割って案外曖昧だなと。

そこで今回は、この”家族”の在り方について解説します。

そもそも家族とは?

そもそも家族の定義についてですが…

  • 夫婦の配偶関係や 親子・兄弟の血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団
  • 夫婦とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団

…こんな文言で定義されています。

端的に言ってしまえば、同じ家に住んで生活を共にする、配偶者や血縁の人々ってことになります。

家族は社会の最小単位の集団って考え方

家族という集団は、社会の最小単位の集団だと思ってます。
「いや、それは違う!社会の最小単位は個人だ!」
って意見もありますが、あくまで“集団”という前提での話。

あと追加すれば、個人は社会を構成する最小単位の“要素”かなっても思います。
ここでは家族=社会の最小単位の集団という概念を念頭に置いて考えていきます。

生まれてから誰でも一度は所属する社会的集団。
どんな人でも、必ず一度は所属する集団ってのがこの家族です。

そう考えると、この家族が持つ個人に対しての影響力って大きいと思うんです。

家族の機能について

ここでは社会生活のなかでの最も小さい集団である家族が担う機能について解説します。
『家族の機能とは、社会において家族がはたすべき働きのこと』
…なんて偉い社会学者の人が言ったようですが、実際あまりピンとこなかったです。

なので分かりやすく大きくその機能別に分類した解説を基に考えてみます。
家族の機能を分類すると次のような機能にわけられます。

  • 性的機能
  • 生殖機能
  • 扶養機能
  • 経済的生産的機能
  • 保護機能
  • 教育的機能
  • 宗教的機能
  • 娯楽的機能
  • 社会的地位付与機能

以下に詳しく解説します。

性的機能

まず最初に家族…というよりむしろ“夫婦”という関係上での機能として“性的機能”があげられます。
言ってみれば、夫婦間の愛情を育み、お互いの性的な欲求を満たす…ってことになります。

結婚という制度が基礎にあるので、基本的に…
性的交渉の相手としては婚姻関係にある者同士
…ってことです。

性的交渉の相手をアウトソーシングするってことは、その秩序を乱すのでNGってことですね。

生殖機能

家族の機能には生殖機能というものもあります。
子孫を残す…つまり子供を産んで育てるってことですね。
寿命というタイムリミットがある生物である以上、その種を長い年月残していく手段として生殖機能があるって解釈です。

またできるだけ自分の種を残す確率を増やすためには…

  • 種を保護する方法
  • 種の母数を多くする

…のどちらかの方法があげられます。

個体としての生存能力が弱い昆虫などの場合、一回の卵を産む数が多い理由は後者の方です。
できるだけ種が残る確率を高めるため…という本能からって聞いたことがあります。

そう考えれば、社会としてまだ安全とは言えなかった昔は、子供の数が多かった…ってのもこういう背景があるのかな?って深読みしてしまいます。
もちろん農家なんかは労働力として数が欲しかったから…という理由もあげられますけどね。

扶養機能

家族という小集団の中では、相手を扶養するという機能も担います。
これは老人や病人の介護や世話、子供の面倒を見ることが当てはまります。

福祉機能的な意味合いでの扶養ってことです。

経済的生産的機能

会社に勤めるって働き方が多い今では、家族が経済的生産的機能を担うって言われてもピンと来ないかもしれません。
でも、元々生産的な活動の拠点は家族にあった…と言われています。

これってたぶん農家や自営業の場合のほうが、家族=生産的機能ってイメージがつくのかもしれません。
そもそも家族という社会の外に出向いて生産的活動をするってこと自体、長い歴史を考えればまだ短い生産活動なんですけどね。

加えて、経済的活動なのでなにも生産的なことだけでなく、消費するって活動も含まれます。
そう考えると、今は家族での経済活動って消費活動が主なのかもしれません。

経済を回す社会の最小単位は家族ってことかなと解釈しています。

保護機能

家族が保護機能を担うってのはイメージが付きます。
よくある「俺の家族に手を出すな!」ってお父さんががんばるやつです。
ちなみにこの保護の対象は女性や乳幼児、老人や病人だったりします。

でも最近は女性の方がいろんな意味で強いので、誰が守る側なのかわかりませんけどね(笑)。

教育的機能

家族の機能の一つに生殖機能があることは前述しましたが、その子供をただ育てるだけでなく、社会に適応した人間に教育するって機能も担います。
基本的に動物は、より優秀な種を残すような工夫をします。

  • より強い種
  • より賢い種
  • より健康的な種

逆を言えば、劣悪な遺伝子は残さないように本能が働くって話です。
これは人間も同じ。

ただ、人間の場合は社会的動物であるってことから、この本能レベルだけではなく、社会レベルでの能力も高める必要があります。
競争社会で勝てるように。
より安全で効率的な社会生活を送れるように。
それが教育が担う機能なのかと。
子供への教育ってのも、こんな観点で見るといろいろ合点が行く部分があるような気がします。

ただ産めよ増やせよじゃダメってことですね。

宗教的機能

日本ってあまり宗教と日常生活が密接ではない気がします。
結婚式はキリスト教、葬式は仏教。
ま、いいと思った文化を分け隔てなく取り入れるって点では、素敵なことかもしれませんけど。
そうなると家族の機能でもこの宗教的機能を担うってのも、あまりピンとこないかもしれませんね。

むしろ、ここでは“宗教”という枠組みではなく、

  • 文化
  • 伝統

…などの継承を行う機能、って拡大解釈のほうが腹落ちするかもしれません。

ただ、昨今ではこの文化や伝統を含め、宗教といったものも軽視される傾向にあるようです。

娯楽的機能

家族は最小単位の社会的集団と考えれば、それはできる限り楽しいものであってほしいものです。
自分が属する基本となる社会である以上、それは…

  • 安らぎの場
  • 憩いの場

…としての機能を担う必要があるってもんです。
じゃなきゃ病むか歪むかのどっちかです。
そう考えると、様々なイベントや行事は家族で娯楽として楽しむきっかけにすることが本質なんじゃないかなと思います。

社会的地位付与機能

カースト制度で有名なインドには“ジャーティ”っていう職業別の身分制度もあるようです。
つまり生まれたときから将来就く職業が決まっているってこと。

インドは世襲制の職業が多いようですね。

日本だって昔(江戸くらい?)は、家業を継ぐってのが基本だったようですし。
親の職業や地位を引き継ぐ、いわば社会的地位の付与機能ってのも、家族が担う機能の一つとされています。
ただ前述した宗教的機能と同様、この世襲も弱体化しているようです。

家族という集団から離れた個人に重きをおくようになった弊害とも言えるかもしれませんね。

幸福って家族がきちんと機能していること

人間は社会的な動物です。
言ってしまえば、なにかしらの社会的集団に属することが前提で生活が成り立つってことかと。
つまり、最小単位である家族って集団がきちんと機能していないと、自分という個人が人間として非常に揺らいでしまうってことかなと。
言い方を変えると…

  • どんなに社会的に成功している大金持ちでも、家族としての機能が果たしていないなら…それは不幸ってこと。
  • 別に社会的に無名で田舎でひっそり暮らしているような人でも、家族がきちんと機能しているなら…それは幸福ってこと。

なんだかそんな気がしてきています。

社会生活って家族機能を補完する役割なのか?

そう考えると、家族という集団よりもっと広い社会的集団。
つまり…

  • 学校
  • 地域
  • 会社

などの社会的集団における機能は、家族的機能を補完する役割を担うべきものなのかなと。

具体例としては…

  • 保育園や介護施設などは、家族の扶養機能を
  • 会社勤めなどは、家族の経済的生産的機能を
  • 警察や病院などは、家族の保護機能を
  • 幼稚園、学校などは、家族の教育的機能を
  • レジャー施設やエンタメなどは、家族の娯楽的機能を

それぞれ家族が担う機能を代替するものor補完するものなのかなと。

性的機能、生殖機能などについてはちょっと代替手段や補完する役割を担うものが思いつかなかったです。

夫婦間の性的欲求を補完するために…Hなお店??
性風俗を一つの産業とみれば、そういう役割ともいえるかもしれませんけどね。

こんな時だからこそ、家族を大事にする必要があるんです

ちょっと最近の情勢を絡めて家族のあり方を考えます。
地震や洪水、ウイルスや戦争など未曾有の災害が頻発している昨今では、できるかぎり家族を大事にすべきだと思うんです。

  • 世界で有名になる
  • すごいビジネスを立ち上げる
  • 世界に貢献する

そういう広い社会に目を向け、それを目標としてがんばることはすばらしいことです。

でも、それで自分の最も身近な家族を犠牲にするってのはちょっと本末転倒なのかなと。
自分の家族を不幸にして、発展途上国に支援に行くような感じね。
なんかちょっと違うなと。
世界平和上等です。
でもそれって個人一人一人が、自分が関わる最小単位の社会集団である家族を大事にすることが前提。

きちんと家族がその機能を果たすことで、結果として家族よりもっと広い集団である社会がよくなるってものなのかなと。

まとめ

今回は、この”家族”の在り方について解説しました。
荒唐無稽で支離滅裂になってしまったかもしれません。
ただ、ウイルス騒動で家にいる時間が長くなり、より家族と接する時間が長くなったことから、より強く家族のあり方について考える機会にもなりました。

“社会的な成功”も重要でしょうけど、まずは“家族的な成功”のほうからよってことですね。

リハビリ医療に関わっていると、クライアントの家族関係への支援も必要になるからね!
“家族”を単なるイメージだけで捉えるのではなく、一つの社会単位で見直すと支援できる幅も広がるでしょうね!

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