片腕のドラマー“リック・アレン”が事故後バンドに復帰できた3つの要因とは?【奇跡の復活劇から学ぶ】

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みなさんは“リック・アレン”というプロのドラマーをご存知でしょうか?
“Def Leppard(デフ・レパード)”ってロックバンドのドラマーなのですが、彼は交通事故が原因で片腕しかありません。

でももう何十年もプロのドラマーとして活躍されているのですが、事故から復帰できた理由が非常に“リハビリテーション”の根幹を示すものなんです。

今回はこのリック・アレンについて障害を克服してバンドに復帰できた要因についてケーススタディします。

リック・アレンについて

リック・アレンとはイギリスのハードロックバンド『Def Leppard(デフ・レパード)』のドラマーである。
Def Leppardは1980年代初頭にアイアン・メイデン、サクソンなどと並んで、NWOBHM (New Wave Of British Heavy Metal) ムーヴメントの中心的存在となった
(ただし、彼ら自身はNWOBHMバンドに括られることを嫌っていると言われる)。
イギリスのトップバンドのひとつで、アルバム総売上は6500万枚を超える(3500万枚は全米での売り上げ)。
アルバム『炎のターゲット』と『ヒステリア』が空前の大ヒットを飛ばし、80年代を代表するロックバンドのひとつとなった。
また、「VH1の最も偉大なハードロックバンド」において31位を獲得した。

(wikipediaより引用・一部改変)

Def Leppardのブレイク

1983年1月20日にDef Leppardは3rdアルバム、『炎のターゲット(Pyromania)』をリリースしました。
そのアルバムの先行シングル、「フォトグラフ」が大ヒットし、全米シングルチャートでは12位に入るヒットとなります!
続くシングル、「ロック・オブ・エイジ」、「フーリン」によって、アルバムは年末までに600万枚(!)を売り上げました!
ちなみにこれは…
マイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ最高2位を獲得!
…という表現だとイメージがつきやすいかもしれませんね!

しかもこのアルバムはダイアモンドディスクに認定もされています!
1977年結成、メンバーチェンジの後、1980年にデビューしてから3年目にして大ブレイク!
これからビッグバンドにのし上がっていくぞ・・・というときに悲劇が起こったようです。

リック・アレンを襲った悲劇

順風満帆だったバンドに悲劇が訪れたのは1984年12月31日。
新しいアルバム製作中にリックが交通事故を起こし、左腕を全て切断することになったのです。
ドラマーにとって、腕は演奏するための“道具”です!
その腕をなくすということは、彼にとってのドラマー人生は絶たれてしまったと言っても過言ではなかったと思います。

メンバーはリックの復帰を待つことに!

交通事故を起こし、ドラマーとしての生命線でもある片腕をなくしてしまったリックに対して、デフ・レパードの他のメンバーは…

「ドラムはリック以外では考えられない」

…という判断から彼の復帰を待つことに。
バンドとしても大ブレイクをし、波に乗っているタイミングでのこのタイミングでリックの復帰を待つ…ということは、非常に大きな決断だったと思います。

ドラムメーカー“SIMMONS(シモンズ)”の協力

そしてこの不幸な事故後、リックのドラマーとしての復帰のためのリハビリが始まりました。
その際、この一連の報道を知ったイギリスの電子打楽器メーカー『SIMMONS(シモンズ)』がリックの両足・右腕だけでも演奏が可能なカスタマイズのエレクトリック・ドラムの製作に名乗り上げました!

ドラマー“リック・アレン”の復帰

事故から約2年後の1986年にドニントンで開催されたモンスターズ・オブ・ロックでDef Leppardは念願のライブを行いました!
さらに、1987年8月3日には4thアルバム、『ヒステリア (Hysteria)』をリリース!
その後このアルバムだけではなく、シングルまで大ヒット!
文字通り、悲劇を乗り越えてビッグバンドに成り上がった…ことになります。
当時の演奏はこちら↓

[su_youtube url=”https://youtu.be/1DNElq-qUsY”]

リック・アレンの事例から考えられる3つの要因

作業療法士というセラピストとして、このリック・アレンがデフ・レパードのドラマーに復帰できた要因って、非常に“リハビリテーション”の概念にぴったりハマっているんだと思うんです。
リックが復帰できた要因としてですが…

  • リックを支える“人的環境”
  • リックの目標を達成するための物的環境
  • リック自身の“モチベーションの持続”

…の3つの視点から考えてみます。

リックを支える“人的環境”

不幸な事故で片腕をなくしても、決してドラマーとしての解雇やメンバーチェンジをせずに、じっと彼の復帰を待っていたバンドメンバーの存在は非常に大きいのだと思います。
もちろんメンバーの人間性、リックの人間性といったものから双方の良好な人間関係からこのような判断に至ったのでしょうね!

リックの目標を達成するための“物的環境”

…とは言っても、リックをドラマーとして再び迎え、バンドとして継続をするためには“良好な人間関係”だけでは成り立ちません。
片腕であるが故に、ドラムを演奏することができない…という“障害”を克服しないといけません。
「片腕があるなら十分叩けるじゃないか!」という判断をスムーズにできるようにしたのは、打楽器メーカー『SIMMONS(シモンズ)』の柔軟な対応のおかげでもあると思います。

既存の物を、ユーザーの能力に合わせてカスタマイズする発想ってのは本当に大事ですし、リハビリテーションとして非常に重要なことです。
できないことを嘆くより、できることを増やす工夫をするほうが、目標とする“活動(リックの場合はドラム演奏)”を達成する近道なんですね!

人的、物的環境の上に成り立つリック自身のモチベーションの持続

おそらく、バンドから解雇され、SIMMONS(シモンズ)からのサポートもなかったら、リックのドラマーとして復帰するまでのモチベーションは持続しなかったでしょう。
いくらリック自信が「もう一度ドラマーとして復帰したい!」と強く願っていても、その希望を受け入れてくれる環境がないと、長期間のモチベーションを維持することは困難だったと思います。
片腕でもドラマーとして復帰を待っていたデフ・レパードのメンバー、そしてその復帰を現実的なものにするSIMMONS(シモンズ)のサポートがあったからこそなんでしょうね!

まとめ

今回はリック・アレンについて解説しました。

ふと思ったんですけど、デフ・レパードのメンバーは売れる音楽をするためにバンドをやっていたのではないでしょうね。
ヒット曲をだしたいのなら、片腕を失ったドラマーをバンドに入れることはデメリットが多いのが普通ですから。

リックの復帰を待ち、どうにかリックがドラムを演奏する方法を模索し…
その結果バンドに復帰し、その結果アルバムやシングルがヒットした…だけのこと。

“金儲け”最上位の目的ではないことがメンバーの行動からもわかります。
作業療法士というリハビリテーションセラピストとして、“障害”や“自己実現”といったことをこのデフ・レパード、そしてリックから非常に学ぶものが多いんです。

リックに対しては、“代替アプローチ”がぴったり当てはまったケースといえるだろうね!
こういう逆境からの復活劇からは、非常に学ぶものが多いですね!

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